1600年(慶長5年) - 黒田長政が井上之房に命じ、春日神社と岡田宮に須賀神社を奉納させ、その祭礼巡行のお供として、町民により山車(笹山笠)が立てられ、春日神社には藤田山笠、岡田宮には熊手山笠が奉納されました。 笹山笠という「山笠」では初期のものに属する形式を今日まで残していることは大変貴重で、最上部に笹を立て、その四方 を杉勾欄、ボンテン、幕で飾り、藤田山笠は四隅に楯または唐扇を、熊手山笠は弓をつけます。 他地域でも、昭和や平成に笹山笠を作り出したところもありますが、400年の歴史と伝統を受継いでいるのは藤田山笠と熊手山笠です。
毎年7月18日に祭りの幕開けを告げるお汐井取りの神事は、この笹山笠の形態で行われます。
お汐井取りが済むと、人形飾山笠に衣替えします。 この飾り山笠は周囲に複数の人形を飾り、夜は多数の電飾で照らされ運行されます。 7月20日から23日まで、この人形飾山笠の形態で町内の厄除祈願すなわち無病息災、悪霊退散を祈願するため、町内を巡行します。 祇園囃子は大太鼓、小太鼓、鉦とほら貝が入り、独特の調和をつくっています。起源は関ヶ原の合戦時、軍の進軍の合図として用いられた陣太鼓の勇ましさを取り入れたと言われています。 藤田山笠は、途中、藤田から紅梅町等を独立させ、紅梅六区に分家した藤田東山笠の建立を機に、名称を「藤田西山笠」と改名しましたが、熊手地区の平等分配とは違い、400年余の歴史を単独で継承してきた唯一の山笠です。 この伝統と格式を後世に繋いでいくとともに、世相に流されることなく、乱れることなく、古式ゆかしい伝統文化と、価値ある歴史的遺産を、未来へ継承してゆきます。 見どころは藤田西山笠若衆の伝統と格式高い装束姿と勇壮な山かき。他とは違う藤田西山笠の「伝統」を是非見に来てください。 |